全文会話という、ノンフィクション記述スタイル。沢木さんの挑戦でもあったようです。
宇多田ヒカルの母、藤圭子へのインタビュー。1979年、ホテルニューオータニ24階のバーで行われます。絶頂期にある、歌手藤圭子が電撃引退発表をした。なぜ、引退を決めたのか?2人だけで、バーで会話しながら藤圭子の思いを探る。
私は藤圭子を全く知りません。宇多田ヒカルはほぼ同年代であり、学生時代はよく聴きました。うちの母親が「お母さんの藤圭子に声がそっくりだわ」と言っていたことを思い出します。うちの母親世代には藤圭子は時代の寵児だったのでしょう。
宇多田ヒカルうんぬんというよりも、絶頂期の人気者がいきなり引退をする時どのような事を考えていたのか?沢木さん流の「深層心理を引き出す力」は、藤圭子にどのように作用するか?
400ページすべてバーでの会話です。まず、読んでいて気持ちがいい。一緒にお酒をのみずっと、隣で話を聞いている様な感覚になります。藤圭子はウォッカ・トニックを何杯も飲んでいます。藤圭子がデビューしたのが、18歳で引退が28歳。10年を節目に歌手そのものを引退します。
藤圭子さんの生い立ちから迫り、デビューするいきさつや、デビュー後の様々なスキャンダル。結婚・離婚を経て、人生を高回転で駆け抜けていきます。
沢木さんは細かく細かく、深層心理をつついていきます。時には同感し、時には批判しながら。一気に、深い内容に踏み込んだり、さっと引いたりしながら。
会話をしながら、性格にも踏み込んでいきます。
「これも、かなり意外なんだけど・・・会うまではわかんなかったけど、あなたは、すごく潔癖性なんですね」p161
非常に信念が強い方だったようです。引退へ至る心理が少しづつ見えてきます。
藤圭子さんとのやり取りで、沢木さんの人生観も時々顔をのぞかせます。
「どんなことでも、やりつづけることに意味がある。あるはずだと思う・・・」p249
と沢木さんが問いかけます。沢木さんの人生観ですね。
そしてこう切り返されます。
「藤圭子って歌手のね、余韻で歌っていくことはできるよ。でも、あたしは余韻で生きていくのはいやなんだ」p250
藤圭子さんの人生観を引き出させます。うまいな。潔癖性とつながっていきます。
わたしはダラダラと生きていたっていいんじゃないかという人生観を持っています。
私は仕事柄、潔癖性を保たないと生きていけない人を多く診ています。結構辛そうです。
お金の事、恋愛の事、親との関係、歌を歌うということの意味(仕事観)をひとつづつ、重層的に聞き出していきます。その言葉から読者が自由に意味を解釈できるようにしています。沢木さんは、いい悪いの判断はしません。
本人が思ってもみなかったことを話させ、本人がはっと気づく。そこに、真実があるということを分かっているのかもしれません。
藤圭子さんは引退後アメリカへ渡り、宇多田ヒカルさんが生まれます。2013年に飛び降り自殺をしてこの世を去ります。沢木さんにとってもその時の衝撃は尋常ではなかったでしょう。28歳の女性へのインタビュー。真剣に生きる事の生きづらさ。真面目に生きていると精神を病んでしまう。真剣とか真面目って何なんでしょう?
色々な問いを考えさせてくれる作品でした。