流行りものに手を出すのに抵抗感があり、敢えて読むことを避けていました。UFOキャッチャーが好きで、ゲームセンターに行く度に鬼滅の刃のフィギアがあり"漫画を読めば取りたくなるかも"という不純な動機で漫画を読み始めました。
GEOで1冊80円で借りれるので、23巻全巻+外伝を借りて80×24=1920円。
読み始めたら、止まらなくなりました。そして何度も泣いてしまった。なぜだ?
ああ、心が揺さぶられる。
設定はいかにも少年漫画。
鬼vs人間。人間側は鬼側に大事な人を殺されて復讐する。
主人公(竈門炭治郎)は特殊な能力が開花し、仲間とともに協力して次々に鬼を倒していきます。
修行をして強くなる
敵がどんどん強くなる
仲間が増えていく
炭治郎は自分優先ではなく、仲間優先で動く
仲間が協力して、強大な敵を倒す。
この単純なストーリーになぜ、こんなに心を動かされるのか。
ドラゴンボールだって、ワンピースだって大筋は一緒です。
なのになぜ。
ドラゴンボールを読んでいた時は私は小学生で「自分も他人とは違う何者かになりたい。強くなりたい。強くなって他の人の役に立ちたい。自分だけの発見をして他人を驚かせたい。」と純粋に憧れていました。きっと人の本能なのでしょう。自分はその他大勢の雑魚ではなく、悟空になるのだと。ピラフ一味みたいにはなりたくないと。
しかし、社会にでると自分はその他大勢の雑魚キャラでしかなく、欲まみれのピラフ一味であったことに気づいてしまいます。
なんとなくヤケクソになり、「現実はまあこんなもんか」と諦観の域へ達していきます。小さな幸せを見つけて生きていこう。欲にまみれて何が悪い。ピラフ一味で何が悪い。むしろピラフ一味の気持ちの方がよくわかる。
鬼滅の刃を読んでいたら、昔の純粋な気持ちで生きていたときの私が顔を出しました。
本当はこうやって仲間に囲まれて生きていきたかったんだ。義を貫きたい。他人のために生きてみたい。もっと能力を発揮したい。大切な人のために命を張りたい。
小学生の時から30年が経ち、少年時代の心が何度も揺さぶられ、涙が出たようです。
鬼はもともと人間で、人間に虐げられ、恨みをもった人間でした。最初からの悪はいません。何かをきっかけに鬼側へと転げ落ちた人達です。自分が鬼側になる可能性もあるのです。鬼も大切なものを守るために、個人のパワーを高め誰にも大切なものを奪われないようにします。仲間との協力はなく究極の個人主義です。
40年生きていると理想が崩れ、現実に悲観します。でもやっぱり理想を追い求めて生きてみたい。きれい事なセリフがたくさんあります。そこに感動していました。もう一度信じてみたいと思う自分がいたのだと思います。
そんな感情が沸き起こりました。子供には子供の、大人には大人の漫画の読み方があるようです。
少年ジャンプ、すごいな。