漢方医の日記

平凡な毎日をいかに楽しく過ごすか。本の紹介を中心に、学び・健康・東洋医学・ライフスタイルなど色々。漢方大好きおじさんのブログ。

【書評】人の役に立ちたいという業 ~思いがけず利他(中島岳志)~

It’s automatic!? 誰かのためになる瞬間は、いつも偶然に未来からやって来る。

利他について真面目に深く考えた一冊。

利他は自己中心的とは反対のワードです。人間は本来、自己中心的な生き物で、純粋な利他ってあるの?と疑いたくなります。自己犠牲が伴っているような印象もあります。

しかし、本書を読み終わった時にその印象は一変しました。

なんというか、合気道でいつの間にか倒されているかのような感覚です。

 

 

 

本を読む前と読む後で「利他」の印象がガラリと変わります。

 

私の本を読む前の利他のイメージは

① 情けは人のためならず精神(人にいいことをすると、巡って自分に返ってくる)

② 偽善者感覚・自己満足感(いいことをしている自分が好き)

③ 戦略的互恵関係(お互いWIN-WINになりましょう)

④ 負債感(プレゼントや年賀状をもらったら返さないといけないとおもってしまう)

 

結局利己的な気持ちが見え隠れしたり、受けた方はプレッシャーがかかってしまったり。

 

しかし著者はまったく違った感覚で説明しています。

 

利他は人間の意思を超えたものとして存在している。p6

 

これが結論ですが、これでは何かわかりません。

 

いきなりですが「文七元結(ぶんしちもとい)」という落語があるそうです。

文七元結は簡単に説明すると、主人のお金をなくした青年(文七)が橋げたから自殺をしようとしています。それをどうしようもないおっさん(長兵衛)が全財産を渡して助けるという話です。青年を助けたことがまわりまわっておっさんの幸福につながるという話です。

 

落語家はなぜ、どうしようもないおっさんが全財産を渡したのか?というところに落語家それぞれの解釈を入れて演じます。おおむね2つの解釈に分かれるようです。

1つは「文七への共感」で、もう1つが「江戸っ子気質」。

江戸っこ気質とは(宵越しの金はもたねぇ、見殺しにすると寝覚めがわりぃ)、みたいな解釈が多いですが

立川談志は、その橋に居合わせた偶然性や非人間的なものによって動かされたと解釈したようです。

 

人間の意思を超えたもの。立川談志は人間の業について語った落語家です。

人間の業は、「わかっちゃいるけどやめられない」というやつです。

 

この業に利他があると見抜いたのです。談志さんすごい!

 

業なので理由はありません。業がIt’s automaticなのです。

タイトル通り、思いがけず利他なわけです。

 

親鸞聖人の他力本願から利他を考えたり、

ヒンディー語の与格構文(自分が主体となるのではなく客体となる構文)から利他を考えたりして、徐々に利他の本質へ迫っていきます。

 

まるで、詰将棋のように。

 

ボランティアは利他か?

 

ここで、視点が利他を行う側から行われる側(行為を受ける側)へと移っていきます。

おっとそうきたか。

 

利他かどうかは受けて側が感じる事であると。そしてさらに話は深くなっていきます。

利他を受けたときは、受けた側も利他であったのかどうかがわからないという事です。

つまり、時間的が経たないと分からないという事です。

 

「あの時言ってもらった言葉で救われた」という感覚です。

行う方も打算的ではなく思わずしてしまう、そして受ける方も押しつけがましさを感じず、その時は何とも思わない。

ここに人間の意思が入る余地がありません。

何者かに動かされるという感覚。これが人間の業としての利他なのだといいます。

 

利他に意義を見出そうという行為はすべて利他ではないということです。

必ずあとから振り返ってみたら利他だった、ということです。

そして、利他を行う側は理屈ではなく情動でまず動いているという事です。

 

利他を考えている時点で利他ではない。

 

もう一つの視点として偶然性というものもあります。

落語の話だと、長兵衛が偶然その場(橋げた)を通ったという事

偶然性を説明することはもはや不可能です。

 

しかし、時間が経つことでその偶然が必然だと思える時があります。運命と言い換えてもいいかもしません。あの時のつらい経験が今の成功に活きたとか、偶然あの時に出会ったから結婚したとか。その時に人は運命だと感じます。運命を感じる時に、神(人智を超えたもの)の存在を自覚します。

 

最後に、著者はまとめます。

利他は自己を超えた力の働きによって動き出す。利他はオートマティカルなもの。利他はやって来るもの。利他は受け手によって起動する。そして、利他の根底には偶然性の問題がある。 p174

 

では日常生活にどうこの考えを生かせばいいのか?

利他であろうとして、特別なことを行う必要はありません。毎日を精一杯生ききることです。私に与えられた時間を丁寧に生き、自分が自分の場所で為すべきことを為す。能力の過信を諫め、自己を超えた力に謙虚になる。その静かな繰り返しが、自分という器を形成し、利他の種を呼び込むことになるのです。p177

 

僕の存在は偶然であり、医者をしているのも偶然である。その偶然性に気づけば他者により寛容になることができるのではないかと思いました。

 

ブログを書くことも、初めは理由はなくブログを書きたい!という情動があって

それが誰かの心にひっかかり、その人の生活が少し愉しくなる。

愉しくなると、その人もまた何らかの行動を起こし連鎖していく。

 

ブログを書くことは利他になりうるのか!と後から気づきました。

 

難しい問題を、豊富な例えで様々な角度から説明をしてくれています。

自分がバージョンアップしました。