コラム ① 「なんのため」
私は医師をしていて、東洋医学を学んでいます。
medkannもmedical+kampoから作りました。
人生の最後を迎えようとしている方を多くみています。
一人ひとり、人生最後の迎え方は違います。
私は急性期病院で働いており、まずは病気の治療を行います。
しかし、その後病気が回復しても
「自分で御飯を食べることができない」
「自分で立ち上がることができない」
という人をたくさんみています。
リハビリを行います。
リハビリも治療ですので目標・目的をもってそのためにどうすればいいかを考えます。
しかし、目標・目的がないリハビリも多く目にします。
自己反省でもありますが、「なんのため」にそのリハビリをしているのか?
誰のためにリハビリをしているのか?
ご飯を食べれない人がリハビリで歩いています。
順序が逆です。まず食べれることが重要です。
認知症の終末期や神経変性疾患(パーキンソン病など)の末期は食事をとれなくなりますし、肺炎を起こすので本人も拒否します。
しかし、病院では果敢に「経口摂取」に取り組みます。もちろん善意です。
本人は拒否しています。
「なんのため」に食べさせているのでしょうか?
誰のためにに食べているのでしょうか?
自分で食べられない人へ介助して食べさせる事を虐待ととらえている国もあります。
しかし「なんのため」に答えを出せる人がいるでしょうか?
自分が「なんのため」に生きているかすぐに答えらる人がいるでしょうか?
目標・目的がない人生を送っているひとも多いのではないでしょうか。
「なんのため」を突き詰めてみると本質がみえてくるのではないかと考えています。